健康侵略

わりと政治に関しても何に関しても自分の周りに起きてる出来事以外は無関心に近いところがあった。

政治家が何をしてるとかテレビで流れても、税金上げないでくれたらいいやとか思っていたし、選挙もわりと不参加気味だった。ニュースで流れることは野菜が高騰することぐらいしか興味がなく、きっと誰かが頑張ってて誰かが何とかしてくれると思ってた。

戦争もそうだ。終戦をしたからには戦争は終わっている。この平和な日本に戦争がまた起こることなんてないだろう。そう思っていた。

始まりはただ健康について調べていただけ。健康とは何か。どうしてこんなに不健康な人が多いのか。どうして健康になり方を知らないのか。

 

今の日本の健康方法に関して調べているとどうにも奇妙なことが多く、腑に落ちない。

調べれば調べるほど身の回りに不必要な不健康が歩み寄っている。

 

調べればYouTubeでもなんでも情報が出てくる時代、色んな情報があってそれのどれをくみ取るかはその人次第でいいとは思うけど知る努力をしないことはとても危険だと思う。

 

 

人を不健康にさせればさせるほど潤うところがあるって事。

 

人間は元獣

人間とはどんな動物なのか。

知識や研究を重ねれば宇宙へも行ける科学者にもなるし、狼に育てられたら狼のような獣にもなる。

人間のルールや教育が異なって生きていたら、大人でもどこ構わず怒り狂ったり、殴ったり、わめき散らしたりなんだってするだろう。

人はそれぞれ環境や家族や教育や地域社会や政治によって多くの影響を受けた姿がただそこにあるだけで、皆それぞれの常識の中で生きている。

それは不平等に形成され、正解不正解ではない。
法律もまた変われば常識は変わるのだ。

獣のまま生きる事もまた可能だ。


しかし、人間の本質と獣の本質は違う。

人間が他の動物とは違うところは学ぶ感性だと私は思っている。出来事を感じて学ぶ力、知識や経験の多さによって人間は獣とは離れた存在になる。

人間の喜びや幸福もまた獣とは違うところにある。

私はそんな人間たちの中にいたいし、人間の本質を生きたい。

人体神秘!なんで悩んでいるの?

人間の意識と言うものは何で出来ているんだろうと常々不思議に思っている。

今意識できる自我は「意識出来ているもの」なだけで、催眠術で「あなたは猫だ」と言われたらこの自我はたやすく崩壊して猫になってしまうだろう。

この意識は肉体のどこにあるものなのだろうか。脳にあるのだったら小脳か大脳か、もしかすると自律神経にあるものかもしれないし内臓にあるのかもしれない。考え方次第でなんとでも説明はつくし、どの説明でもある程度しか解明できないものであろう。

皮膚はとても敏感な一つの臓器で不思議な事がたくさんある。外部刺激からの壁となっていて、皮膚への刺激だけで筋肉や脳へ働きかけられる敏感なものである。体の悪いものを外に出す事が出来たり、気温や湿度触れているものを感じていたりする事ができる。

人間が考えられる以上に体は感じ、人の波動というものや言霊などありとあらゆるものは体に影響している。嫌味や嫉妬や悪口を言うような人と一緒に居たら良くない影響が知らず知らず皮膚から浸透してしまうかもしれない。

 

自我と言うものは先ほども言ったように催眠術で壊されるほどもろい。誰かに「あなたはダメね」など催眠をかけられている可能性があるという事だ。マインドはコントロールできるしコントロールされることがあるのだ。

自我がないとしたら、そこには体と空間があるのみ。自分という個体と目まぐるしく動く環境空間。もしかしたらその二つが調和した時が幸せで不調和が不幸せと言うものなのかもしれない。

個体の自分をしっかり持つ事。人のせいにしたり恨んだり嫉んだりしていたらその時点で気持ちの軸は相手にあり、個体としてブレが生じる→体に不調が起こる。

妙にビビりやすい人は腎臓等に不具合があるのだそう。また悲しみ過ぎると肺を病む。内臓の弱りが精神の弱りにとても密接な物である。

そう思うと弱ってる人間が人に弱みを握られたくないのは当然なのかもしれない。だから相手を陥れたり突き放したりする発想が生まれるのかも。健康そうでハツラツとした人は強そうだし、弱っている同じタイプの人間と一緒になってしまうのかも…波動の高い人のご利益にあずかった方がよっぱど良い!(雑感)

心身弱っている時は何か言われた時に落ち込んでしまうが、心身共に健康な時は同じ事言われてもまるで動物達の鳴き声のように聞こえて自分というものがブレる事はないだろう。

 心身の健康こそ、ぶれない人間が出来上がるものだと考える。

 

私が注目しているのは皮膚。「手当て」をしただけで治癒能力が上がる。幸せ物質であるセロトニンが出る。不思議で謎だらけで容易くアプローチできる臓器。

死にたいと思ってる人の頭に手を当てると考えが止まるのだとか(後頭部あたり)
確かに頭に触れられて手のぬくもりを感じていると考える事が困難になる。

触れ合いってとっても不思議ででも実感してよいものだなと思える。

だから大切な人を優しく触れて行きましょうという話。日本人は特にやってなさそうだから。

 

世の中広すぎて色んな事や不思議がたくさんある。

人間の意識や人体って面白い。

 

 

うんこ!

もやっとぬるっとブログ

これを書くぞと意気込んでブログを書き始めても、なかなか違う題材になってしまう。

言う事、手書きで書く事、PCで打ち込む事ではやはり脳の刺激的な問題で違う文章になるのだそう。まぁそうだろうなぁと思うよね。漠然と。

 

私もいつもそうで、一応テーマをもってブログを書き始めるのだけどどうもうまくいかない。どちらかというと手が動くのに任せてブログを綴った方が進みが早いし、これなら毎日書けるんじゃないかなぁなんて事も思う。(その分適当だから)

 

そういえば昔はア〇ブロを毎日3記事更新なんて事もしてたな。
ブロガーに憧れましたよ…はい。
でも4ヶ月ぐらい頑張って更新していたのだけど、どうやらア〇ブロアクセス解析が水増しされてると知って撃沈した。

 

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そして別のアクセス解析を導入して…

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私って可哀想!!!

 

まぁ~あの頃の孤立感と言ったらなかったなぁ。何もかも評価されないどころかリアルの人間たちによる私の作品の批難ばかりだったからね(整体師の先生だけ面白いって言ってくれたけど、なぜか当時は疑っていたw)

現在はというと比較的多面性のある私でも、SNS上だとどの切り口でも受け入れてくれる感じがあって本当に感謝ばかりである。

見てくれてるだけでも相当ありがたいですm(_ _)mマジで…マジで…。

 

えーっと!今回話したかったテーマは「昔の娯楽から今の娯楽、テレビはオワコンなのか?」…だったのだけれど、ほら、全くそんな内容にならなかった。でもここから話始めるとすごい長くなりそうなのでそのテーマはまた!

 

 

みんなが健やかでハッピーで愛ラブ地球でドドスコスコスコ♬

不思議な時代だなぁ

最近ツイキャスというものを始めた。

ライブで動画配信が簡単にできて今現在何人視聴されているのかもリアルタイムでわかるし、もちろんコメントをもらって受け答えすることもできる。

 

不思議なツールが大流行。(前からね)

ニコニコ生配信からツイキャス・youtubeUstreamなどなど当たり前に配信ができる時代。

今までライブ配信は傍観しているだけだったけど、やってみると中々面白い。

1~2人、多い時は10人ぐらい閲覧してくれるのだけれど、それだけの人間が私に「無関心」ではない。それだけで楽しくなってしまう。

 

私なりに面白い配信しようと模索して結構失敗してる気がするけど、それはそれとしてまぁ仕方がない(苦笑)

 

人気なツイキャス配信者のところへ見に行くと、みんながみんな企画を練って配信しているわけではない。まったくもってその人の日常と雑談がそこにあるだけで、美人とかイケメンで話が上手いという訳じゃない。それでも閲覧は常に1000人いたりとかね。

 

今までの娯楽の形とはちょっと違う変な感覚だなぁと思う。作られた世界よりもよりリアルで生に近い物、知らない相手と友達のような錯覚さえあるライブ配信。現実版「トゥルーマンショー」の様だなと思う。その映画はリアルな人間模様をTVにするために生まれてからずっと映像を撮られ続け配信されていた男の話。周りはみんなエキストラだったけどね、男は知らずに育っていく映画。

リアルな人間模様。

人気配信をしている人は長時間何年もかけて配信を続けている。その中で色んな出来事が起きていて配信者と閲覧者の思い出を共有した仲になっている。だから一時一時の配信がダラダラしたものであっても全体的な時間の共有が楽しくなってくるのではないか。見逃すと思い出共有できなくなるので見逃せないんじゃないか…。

これは色々憶測ね。

不思議だなぁこの娯楽は。

友達(と言ってもそれもSNSで出会った人達)の配信とか聞きに行っても面白いもんなぁ。

多分配信が無かったら仲良くお喋りしないだろう人でも不思議と話せる。より人間のパーソナルに近い状態だからかもしれない。建前や作られた人間よりも素のままの人間を見せるという新しい娯楽。

「娯楽」という概念もよくわからなくなって来るね。でも娯楽なんじゃないかな。

 

そんなダラダラと配信してる人達もきっといろんな人の心の救いになっているんだろうね。

 

 

ピース☆世界よ平和であれ

五感の中にも幸せいっぱい

朝起きて、甘いイチゴを食べた時にジワーっと幸福感が湧いて来た。

ほんの3~40秒だろうか。とても幸福でとても幸せだった。

 

五感は今しか感じることができない。
過去味わった味や風景を想像することはできても五感で感じることはない。人間は意識していないところ、無意識がとてもよく働いている。例えば今着ている服の触れている部分、聞こえている音、足の裏の感じ、視界に入っているもの、風や乾燥した空気など。意識を向けると実感するが、無意識は常に感じている。

意識は無意識を鈍らせる。

過去や未来を思っている時は今を感じるのが難しくなるのだ。「ああ、あの時どうしてこうしたのだろう」「将来が不安だ」そう思っている時はまさに心ここにあらず、意識が今から遠ざかっている。

幸せな事を思い出して心ここにあらずだったら最高にいいけれど、不幸な事を思っているとイチゴどころじゃ幸せな気持ちになれない。

「過去があって今がある、今があって未来がある。」という考えは置いておいて、過去や未来があってもやっぱり今を生きている。

今思い、今感じ、今の自分を大切にすること。

 

すると目の前のイチゴが最高の幸せになる。

 

 

少しずつ少しずつ幸せに

 

あなたは私、私はあなた

基本は何があったっていいってこと

曼荼羅体験で私は物質的、空間的、時間的な境界線が溶けた世界に陶酔したのだ。
それはとても心地が良く最高に幸福感があるものだった。

脳科学的に言っても共調共感でえられる幸福感というものがある。もうちょっと違う言い方をすると言うと承認欲求とかもそうだと思う。

人は一人では生きていない。

当然そんなこと幾度も聞いて来ただろう。

でもそのレベル以上に人は物質として一つで生きていないと思う。

食べ物、机、椅子、空気、植物、人間、時間。

境界線の壁が強ければ強いほど、心は孤立をしていく。

 

全ては色が溶け合う様に境界線はない。

 

宇宙という言葉は胡散臭くなるのであんまり使いたくないけど、

宇宙空間すべてで一つ、なんだなーって今は思っている。

 

しかし人の言葉には意味があり、本心でないことも言えるし、だましたり翻弄することができる。一番最弱かつ最強な魔法。

境界線の壁を作る魔法もそこには多分にあり、素晴らしい世界から遠ざけられる。

 

今感じる事が全て。感覚感情幸福は今にしかない。

 

人は幸せになるために生まれてきます。

試練も私もあなたの一部。

 

少しずつ話してゆきます。